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大学日記

駆け出しの大学生が思ったことを書いていきます。完全に自己満でやってます。

人を招いている人は感謝をしている

今日の僕の気分で:

人を分類するとしたら、人を招いている人と招かれている人に分類する。

僕は基本的に招かれる側だ。人と積極的に会おうとしないし、一人ならそれでいいと思っているからだ。しかし人を招いている人を尊敬しているし、ああなりたいと思う。

なぜなら彼らは自分の会いたい人と会って楽しめているだけではなく、感謝することを知っているからだ。自分の都合に合わせて予定を作ってくれた人たちに感謝している。

僕みたいに常に招かれてばかりいると、人から招かれることが普通になってしまう。人と会うことに特別感を感じないし、人と会っている時間を大切にしようとしない。これでは人と会うこと自体に楽しみを見いだせないし、面白い人生になるはずがない。

 

僕は人との関わりが人生で一番面白いと思っている。招かれる側でいることは良くないことだって認識している。

多分、自分が好きだと思う人たちに嫌われることを恐れているのだと思う。だから特別な予定がない限り人を呼び出したりしないのだな。もっと積極的になった方がいいなって思うけどね。

経済学を勉強するために、数学が重要過ぎる件について

僕は大学で経済学を勉強している。しかしもともと文系なので数学的知識に難があるところがある。論文を読み進めていく中で、そこがかなりの障害となる。僕の一番の敵であり、また将来の友となるのが数学なのだ。

 

なぜ経済学では数学が必要なのか?それは経済学が数字を使って社会をよくしようと試みる学問であるからだ。まずは社会現象を数式化して、それを操作することによって答えを得ようとする。したがって数学的知識はあればあるほどいいのだ。

 

僕が昔やっていたバスケットボールに例えてみる。

経済学において、数学ができないのはドリブルができないのと同じ。それではパスだけでボールをつないでシュートまでもっていかなくてはならない。至難の業だ。敵が弱いならそれで突破できるが普通ならそうはいかない。

微分の基礎を学びました。これでやっとドリブルができるのと同じ。積分の基礎を学びました。これでスクリーンプレイもできるようになる。数学の集合概念を使いこなせるようになりました。これ40分戦える体力がつきました。

こんな風に、数学ができればできるほど、経済学で戦える範囲が広くなっていく。

だってそもそも経済学は数字を使うことを前提としているのだから!

数字が使えれば使えるほど強いんですよね!

タメ口について

タメ口について

カズレーザークリニックで美輪明宏が登場していた。
美輪明宏はタメ口が嫌いだという憂いを持ち込んだ。というより現代人の使う言葉が乱れているという話だ。
最近の報道で、子供が親に向かって「うっせえよクソババア」みたいな言葉を使っているのが散見される。しかし親しき中にも礼儀あり、礼節を重んじなさい。それがその人の品性を表すのだから。というのが彼女の主張である。

彼女の主張の中に賛同できる部分もあれば、違うと思う部分がある。
賛同できるのは「話し言葉はその人を表す」という部分だ。
雑に言葉を使う人は、生活も雑になるだろう。一方どう話すかに気を遣っている人は、他人にも気を遣える人になるだろうと思う。穏やかな話し方をすれば穏やかだ。それはこれからも気をつけていきたいなと思う。

賛同できないのはタメ語はダメだというところだ。
タメ語には無視できないほど大きな長所がある。まずは他の人を正しく判断ことができるという点だ。日本で顕著に先輩後輩という関係があり、先輩には敬語、同年代以下はタメ語を使うという慣習がある。敬語で接する先輩は、なんとなく凄い人って感じで離さなくてはいけない。また、逆に後輩はちょっとぞんざいに扱ってもいいような、そんな気がしてしまう。もしタメ語のみで先輩と後輩と付き合えるなら、とてもフラットな関係で接することができると思う。これは大きな長所だと思う。
また先輩や後輩と仲良くなれるチャンスが増える。もちろんタメ語で話すということは、敬語で話すときより気軽な雰囲気になっているから。

タメ語でも親しき中にも礼儀ありという関係性を作ることは可能だと思う。それは一人一人の意識の問題だと思う。
だから美輪明宏の意見には部分的に賛成って感じだったな。

タメ語には良い可能性があると思うんだよねぇ

面白い文章について

久しぶりのブログ更新となりました。

井上ひさしさんに関する面白い記事を見つけたので、それを検証していきたいと思います。

言葉の達人、井上ひさしさんが教える究極にシンプルな文章の秘訣|Career Supli

1.題名をしっかり考える

2.誰にでもわかる&自分にしか書けない ことを書く

3.いきなり核心から書く

 

彼の言葉として知られているのが

「一見くだらないことは真面目に書く。 難しいことは易しく書く。 易しいことは深く書く。 深いことをおもしろく書く。」

 

一見くだらないことを真面目に、難しいことを易しく、まではわかります。とても的を射ていると思います。

易しいことを深く、、、?深いことをおもしろく? この辺の感覚はよくわかりません。

 

自分理解できる範囲で文章に取り込んでいけたらと思います。

 

西域英美

私の中にある矛盾

私はかつて商業主義に疑問を投げかけた。

人はお金を介すると関係が薄いものになってしまう。現代は何もかもお金お金と商業に走りすぎだ。利潤を追い求めるばかり、人間の心のありかを見失ってはないか。このような内容だった。

 

しかし、私はこの前「自分のコンテンツ化」「コンテンツ化の例」について記事を書いた。この二つは完全に商業主義的な考え方に基づくものである。紛らわしい書き方をしているのは勿論その方が注目して見てもらえるかなという淡い期待のためなのである。

決して自分がぶれているというわけではない。そこについて釈明したい。

 

自己のコンテンツ化の話題において。YouTubeを例に挙げてしまった。YouTubeは完全に商業主義に染まったコンテンツである。しかし、自己のコンテンツ化は商業主義的な場面意外にも応用できる。例えば人間関係。一度頭がいいというレッテルが張られたら自分は勉強教えマンというコンテンツとなるし、そのコンテンツを利用して先生方から褒められる立ち回りもできれば、生徒から「本当の先生」とあがめられる立ち回りも可能である。どのようにしたいか選ぶためにはまず自分を思うようにコンテンツ化して、それがどの程度成功しているか考える必要がある。。。

 

好きではないクラスでどのように振る舞うかとか、考えるのは決して損にはならないし。コンテンツ化は一つの処世術的に考えることができる。

 

私が訴えたいのはコンテンツ化が自覚か無自覚かにかかわらず昨今盛んに行われていること。それを自覚して考えれば、さらに良い生活を送ることができるのではないのか。このようなことであり、商業主義を肯定したいわけではない。

コンテンツ化の例

自分のコンテンツ化について一つ記事を書いてみたものの、自分にどのような意味づけをしたら良いかわからずにいる。

 

まず、私は文章を書いて生活していきたいという目標がある。日本語の可能性を考え続けるのは面白いと思う。だから、文章による表現について考えていく。

 

まず自分は文章を使って何を表現したいのだろうか?

文章を利用しているメディアから考える。

小説・啓蒙書・ハウツー本・雑誌・新聞・ブログ・ウェブサイト・・・

私は今のところ小説のようなストーリーを構築しようとイメージしていない。

むしろ雑誌や新聞のような読み切りの文章を考えている。その中でも、ニュースを報道するのではなく、昔から考えられていたことに対して一言投げかけるようなことがしたい。一つ視点を一般人からずらし、かつ納得のいく記事を書きたいと思っている。

優先順位として次に来るのは小説であるが、長いお話はそんなに好きじゃないのでショートのを書いてみたい。

 

とりあえず日常で感じた事たちを1000~2000字くらいでまとめてみようか。

 

よし、やるジャンルをまず決めることができた。これからその方向性を考えていく。

 

特に今関心を持っているのは「雰囲気」についてである。同じことを言っていても話し手が違うと説得力がまるで変ってくることはよくあると思う。ならば、聞き手は主に雰囲気を頼りに話を聞いているのかもしれない。私は昨今、話の内容よりもまず雰囲気作りを練った方がいいとさえ感じている。これは大学でプレゼンテーションをして分かったことである。他にも、笑顔の人には話しかけやすく、逆に真顔の人には話しかけにくい。私はあまり人に話しかけるのが得意ではない。しかしいい雰囲気は作りたいということで、表情筋のトレーニングをしている。これが功を奏するか見ものだが、なんとなく良くなっているのではかなと感じている。

 

例えば「話の雰囲気作りは内容よりも重要である」などという論争が巻き起こりそうな話題を提示することができた。このように、聞き手を惹きつけていきたい。

 

このような話題をどう表現していくか。これが私独自の個性の見せどころであろう!

例えば、これを寓話風にして、物語を読み進めていくうちに私色の考え方に染める。とか、ありきたりのテーマでありきたりの結論をだすと同時に、サブテーマの方で深めの考察を提示する。とか。

 

うーん。いろいろやってみるか。

自分をコンテンツ化する

この商業的な世界で自分固有の何かを持ちたいと考えたとき、自分をコンテンツ化することが必要だと思う。

 

「〇〇さんの意見が聞きたい」「〇〇さんはどう考えるのだろうか」

 

こんなことを思ったことは誰しもある。ではこう思われるにはどうすればいいのか。

 

第一に知名度があること。言わずもがなかもしれないが、知名度があればあるほど権威者として見られがちであるし、話を聞きたいと思う。

 

第二にその人特有のキャラクターを見出すこと。例えば、最近ブームが落ち着いてきたYouTube市場にHikakinという人がいる。ボイスパーカッションで活躍の場を発見して一躍一流YouTuberとして名を馳せたが、彼は得意のボイスパーカッションを中心とした活動をもはやしていない。商品のレビューや流行りを追っかけるだけの大勢の中の一人となってしまった。彼は一時代を築いたのは間違いない。しかし特徴がなくなってしまったために衰退の一途をたどり、いまは彼の見る影もない。

一方、人と違う路線を見出す人がいる。シバターがその一例だ。彼は最近のYouTuberのような編集技術を持ちながら、わざと視聴者や他YouTuberを挑発するという手法をとっている。これは炎上商法と呼ばれ、あまり珍しいことではない。しかし彼の発言は時に的を得ているために、視聴者の共感を呼ぶことも多々ある。つまり、「炎上」+「賢さ」の二つを組み合わせている。過激なことをして視聴者を集めて、見せる動画では知的な発言をして視聴者を逃さないような仕組みができている。

 

このように自分をコンテンツ化することが、自分を売り込むときに力となる。

 

では自分をどのようなコンテンツにしたいか。それを考えていきたい。