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大学日記

駆け出しの大学生が思ったことを書いていきます。完全に自己満でやってます。

私の中にある矛盾

私はかつて商業主義に疑問を投げかけた。

人はお金を介すると関係が薄いものになってしまう。現代は何もかもお金お金と商業に走りすぎだ。利潤を追い求めるばかり、人間の心のありかを見失ってはないか。このような内容だった。

 

しかし、私はこの前「自分のコンテンツ化」「コンテンツ化の例」について記事を書いた。この二つは完全に商業主義的な考え方に基づくものである。紛らわしい書き方をしているのは勿論その方が注目して見てもらえるかなという淡い期待のためなのである。

決して自分がぶれているというわけではない。そこについて釈明したい。

 

自己のコンテンツ化の話題において。YouTubeを例に挙げてしまった。YouTubeは完全に商業主義に染まったコンテンツである。しかし、自己のコンテンツ化は商業主義的な場面意外にも応用できる。例えば人間関係。一度頭がいいというレッテルが張られたら自分は勉強教えマンというコンテンツとなるし、そのコンテンツを利用して先生方から褒められる立ち回りもできれば、生徒から「本当の先生」とあがめられる立ち回りも可能である。どのようにしたいか選ぶためにはまず自分を思うようにコンテンツ化して、それがどの程度成功しているか考える必要がある。。。

 

好きではないクラスでどのように振る舞うかとか、考えるのは決して損にはならないし。コンテンツ化は一つの処世術的に考えることができる。

 

私が訴えたいのはコンテンツ化が自覚か無自覚かにかかわらず昨今盛んに行われていること。それを自覚して考えれば、さらに良い生活を送ることができるのではないのか。このようなことであり、商業主義を肯定したいわけではない。