大学日記

駆け出しの大学生が思ったことを書いていきます。完全に自己満でやってます。

幸せへの道しるべは「自分の感情」?それとも「合理性」?

生きる意味は充実感・幸福感だと思っている。このような感情をできる限り持つためには、何を目印として行動していけばいいのだろうか

僕なりの解答が2つある。それは「自分の感情」と「合理性」だ。

 

まず自分の感情についてである。

自分が好きだと思うものに取り組み、嫌いだと思うことを避けることができるなら、充実・幸福を感じやすい状況を作ることができるだろう。これは当たり前のように見えるが、ちゃんとできる人は多くないと思う。「〇〇をやりたくない」とか「〇〇は嫌い」という発言は、他の人に悪印象を与えるからだ。

個人的な見解だが、他人がどう思おうと自分の意思表示をしていかなければ充実・幸福は得られないと思っている。僕の意見を言うことで、僕の意見と近い考え方を持っている人と良い仲間になるチャンスを作れるし、僕の意見と遠い考え方を持っている人は僕から離れていく。これは僕にとってメリットしかないだろう。また、自分が意思表示をすることは、自己開示することである。他人との心理的距離が縮まる。

 

私はこのような信念を持っていたのだが、この信念が正しいのか不安に思えてきた。なぜなら上司がいるからである(僕は学生なので、ここでの「上司」は空想上の存在)。つまり必ず人間関係を持たなくてはならず、しかし僕の意見を無視できる存在である。

 

そこで次に僕が考えなくてはいけないのは合理性である。

もちろん充実感・幸福感を得るために、自分の感情に正直になることは必要なことである。しかし、客観的に見ると「自分の意見を言うメリット<上司に従うメリット」となっている場合があるだろう。このような場合は素直に従うのが合理的である。

 

以上の議論から「自分の感情」と「合理性」は相対するものだということが分かる。「自分の感情」に従うときは、今の状況をさらに良くしようという考え方に基いているが、「合理性」に従うときは、今の状況を悪化させないようにしようという考え方に基いている。

 

ではどちらの考え方が正しいのかということについて考察する。

私は長期的な視野で判断をするときには「自分の感情」に従い、短期的な視野で判断をするときには「合理性」に従うのが良いのではないかと考える。

例として大学受験を考える。大学選びの段階では「自分の感情」に従う。親や教師などに惑わされず、自分が一番行く価値のある大学を選ぶべきである。しかしいざ勉強を始めてみると、「自分の感情」としては大変な思いをして勉強したくないと考える。これは「合理性」に目を向けて自分の目標達成に向けて努力するべきである。

 

要するに常に長期的な判断を心がけていれば、それは「自分の感情」に従うことになる。上司に従うことも、それは長期的には給料を貰い余暇を充実させるということに繋がる。

僕は長期的な視野を持つことがどれほど重要かということを認識しなくてはならない。