大学日記

駆け出しの大学生が思ったことを書いていきます。完全に自己満でやってます。

ヲタクへの憧れ

最近はヲタクという言葉も様々な意味を持っている。かつてはアイドルヲタク、漫画ヲタクなど人に言いづらいサブカルチャーに対してのみこの言葉は使われていたのに、ギターヲタク、家電ヲタクなどといったような言葉、一般的に全く問題ないような言葉が使われ始めた。私は最近のヲタクの定義には納得していない。(これに関してはまた記事を書こうと思う)私が興味があるのは前者である。人に言いづらい趣味趣向を公にせず隠れて愉しむなんて。なんて興奮を誘うものであろうか。

 

私もおそらく望めばヲタクになることができるのだろう。いやできないのかもしれない。

私は心の中にストッパーがある。ヲタクになってしまった自分の末路。

毎日を自室の中で過ごし自分を失っていく。気づいたらとっくに就職の時期を逃して、ネットで就活の記事を他人事のように読んでいる自分。現実逃避に長け、現実を変える力を失っていく自分。

そんなイメージをヲタクに対して持ち続けているからこそ私はヲタクになれない。

 

ただ、そんなイメージも意外と固定観念だということも知っている。私にヲタクの友達が数人いる。私はヲタクに興味があるためたいていの場合声をかけて話せる仲になるのだ。彼らの中にはもちろん重度のヲタク、日常生活をゲームやアニメに捧げ人と関わるのが苦手な人もいる。しかし一目見ただけではヲタクだとわからない人も少なからずいるし、私がヲタクだと気づいていないだけでもっといるのかもしれない。ちゃんとした生活を送りつつもゲームやアニメへの愛は忘れない。サブカルチャー的なイベントには活発に参加して趣味を謳歌している友達を私は尊敬している。

 

ヲタクへの偏見はもう捨てなければならない

 

私はヲタクという生き方に対してある種の憧れを覚えている。

 

また、彼らは往々にしてミステリアスなのだ。考え方が一筋縄では想像できない。友達の誕生日会に来るものの端っこで携帯いじってばかりいるなど典型的な例である。そんなことしてるんだったら始めから来なくていいんじゃないかと思ったりする。集合写真を撮った後そそくさと帰っていくのである。ただ彼女は特に人と話すのが苦手というわけではなく、むしろ得意なくらいなのに大人数のパーティーでその輪に入ってこようとしない。大人数が苦手なのだろうか。その真相はわからないし、どういう考え方を持っているのか気になっている。

 

ヲタク・ミステリアス

 

またこんな例がある。私のヲタクの友達の一人が急に海外留学をしたいと言い出したことがあった。私はてっきり何かの漫画に影響されたのかと思っていたのだが、彼は孫正義の海外留学の話に影響されたのだそうだ。日本にとどまっているだけではビジネスチャンスは生まれにくい。海外で新しい物を発掘、また新しい考え方を発見していきたいといっているのだ。一般的にヲタクはサブカルチャー以外に対しての熱意や行動力が低いと思っていたので、彼の発言にはとても驚いた。またヲタクに対して新たな可能性を感じた一瞬でもあった。

よく考えてみれば彼らはそもそも行動力が高いのだ。興味や情熱を持つ対象がある人は強い。行動力も自然と身に付く。

 

ヲタクの方が行動力が高い。

 

私はヲタクという人種にある種の憧れを覚えている。

 

それに対して私みたいな人種はどうなのだろう。普通を装いながら家でただ怠慢に過ごしている。同じゲーム実況をBGMのように流して同じミュージシャンの曲を飽きても飽きても流している。たまに勉強を始めて、やめる。何の生産性もない暮らしをただただ当てもなく過ごしている。彼らのように興味や情熱があるわけではない。

 

どちらの生活が充実しているといえるのだろうか。望ましいのだろうか。

 

私はヲタクの考え方にある種の憧れを抱いている。